桜の花に思う

もう桜の時期ですね。
早いところでは、すでにその壮麗な姿が見られるようです。

異常気象の影響も指摘されているようですが、春になれば、桜の花は必ず咲きます。
誰が決めたわけでもありません。自然の摂理です。

枝には無数の花びらをたたえる桜の木。
一年のうちほんのわずかの日数であっても、花を咲かせ、春の喜びを精いっぱいに表現するその生命力は、ただ見ているだけで気持ちをわくわくさせてくれるものです。

「ありがとう」
桜の木を見上げていると、ついそんな言葉が出てきます。

私には、その花びらの一つひとつが、この地球に生きる人々の満面の笑顔に見えてなりません。
だからなのかもしれません。私が桜をこよなく愛するのは。
風にさやさやとそよぐ花びらは、その笑顔をさらに明るいものにしてくれるかのよう。
桜の木を見上げるときは、地球上の人々みんなが幸せになって、争いのない、平和の中で喜びいっぱいに生きている姿を見てみたい、そんな思いが胸に去来します。

今年もどこかで、桜を見たいものです。
皆さんも、お花見のときには、ぜひそんなことを思い出してみてください。

皆さんはいま、何らかの困難に直面していますか。
人生に困難はつきものです。いえ、困難こそが自分を高めてくれるのです。
桜の木は、たとえ風雨にさらされても、不満の一つもこぼしません。ただあるがまま、すべてを受け入れ、最後は散っていきます。むしろ散っていく姿さえも美しく、見る者を感動させてくれます。
「無常」という言葉はどこか悲壮感がただようものですが、散りゆく桜が教えてくれる「無常」は、精いっぱい役目を終え、次に他の何かのために生まれ変わる準備に喜び勇んで入っているかのように映り、その姿には崇高さすら覚えます。

自然に生きているのは、桜も人も同じ。
桜には桜の役割があり、私たち人間ひとりひとりにもまた、それぞれの役割があります。
今の困難を克服し、人は人のために生き、桜の花のように喜びを精いっぱい表現してこそ、人を幸せにできるのです。

今日からまた、人生の花を咲かせるべく、胸を張って生きていきましょう。
そんな大きな役割を持ってこの世に来た自分のことを誇りに思って。

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