男の成功は妻しだい

相談を受けていると、自信家の方がよくこんなことを口にされます。
「どんな人と結婚しようと、自分に才能さえあったなら、やがては世の中に認められるはずだ」と。
残念ながらそれは真実ではない。実のところ、成功をおさめることができるかどうかは、誰と結婚するかによって大いに変わってくるものなのです。
現に歴史に名を遺すほどの成功を収めている方たちの伝記などを読むと、そこに必ずといってよいほど妻の内助の功が綴られているものです。世に才能を現す人は数多いが、その多くは決して自分ひとりの力で成し遂げられたものではない。夫婦がひとつとなって力を合わせることによって、はじめて才能は開花してきたようです。
内助の功といえばすぐに思い浮かぶのは、山内一豊の妻でしょう。当時、一豊は織田信長配下の貧しい武将にすぎませんでした。戦場で愛馬を失い、このままでは出陣もできないと悩んでいたとき、安土の城下町で馬市が立った。そこには天下の耳目を集めるような素晴らしいい名馬がセリに出されていたのです。
しかし一豊には、その名馬を買えるような大金はとてもない。あきらめて家に帰ったときです。一豊の話を聞くと、妻の千代は嫁入り道具である鏡箱のなかから、惜しげもなく十両の大金を取り出したのです。なにかのときにと両親から渡された持参金に、今までこつこつと貯めた分を足した全財産でした。
一豊はその金で、名馬を手中にする。その名馬が馬揃えの儀式の際、信長の目に止まり、一豊を「武士の鏡」、千代を「妻の艦」とほめたのです。それをきっかけに一豊は信長に認められ、才能を発揮し、出世していくことにととなるのです。
最近では「こういう話を美談にすると、持参金をもたない女が可愛そうだ」という意見もあるようですが、別に持参金のあるなしが千代の名を後世まで残したわけではないのです。十両と言えば、その先遊んで暮らすこともできるほどの大金です。本当に困ったときに少しずつ遣おうと考えたなら、馬一頭買うためにはとても出すことのできない金です。
そのまま後世大事に握りしめるか、せめて家一軒でも買いたくなるところです。
しかし、千代は夫の夢を果たすために、その大切なお金をすべて喜んで出したのです。こだわりは一切なかったのです。結果的にはそのことが、一豊を大名の地位にまで引き上げたのですから、人生とは面白いものです。
また、意外と知られていないようですが、千代の内助の功はこれだけにとどまるわけではないのです。関ケ原合戦の折り、どちらにつけばよいのか悩んでいる夫に対し、いち早く家康に内通することをすすめたのも、千代です。情に弱い夫の性分を、千代はよくわきまえていたのでしょう。そのひとことが長きにわたり大名として山内家を繁栄させたのですからたいしたものです。まさに、夫婦でつかんだ栄達の道でした。
日本ではじめてノーベル賞を受賞した湯川秀樹の妻もまた、内助の功に尽くした人です。湯川は食事中であろうと、なにをしていようとも、アイディアが湧き上がるとまるでなにかに取りつかれたように、ノートにペンを走らせた。それは寝ているときでも変わらなかった。
真夜中に突然起きだすと、湯川はスタンドをつけ、数式を書き始めます。そんなとき彼女は湯川に言われたわけでもないのに、生まれたばかりの赤子を抱いて、邪魔にならぬようにそっと他に部屋に移動した。湯川はそのおかげで、集中して数式に取り組むことができたのです。アイディアに行き詰まるとスタンドを消し、また眠りつく。明かりが消えたことを確かめると、彼女も部屋に戻る。それが習慣になっていました。そうした繰り返しがやがて、世界を驚かす「中間子理論」の発見につながったのです。
この発見は、妻の隠れた思いやりがあったからこそです。もし彼女が夜中に突然湯川に起こされことを快く思わず、なんの協力もしなかったのなら、湯川のノーベル賞はありえなかったに違いありません。才能を持て余しながら、一生を終えたかもしれないのです。
男の成功は、妻の器の大きさで決まる。その事実は、いつの時代にも変わりはないのです。夫婦揃っての二人三脚がうまくいくからこそ、男は安心して仕事に打ち込むことができるのです。才能を咲かせるのも、枯れさせるも、妻しだいであることは、今も昔もかわらないのです。

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