結婚は家と家との結びつき

「結婚とは、家と家とが出会い結びつくことです」、こう言うと、若い方のほとんどが反発し不快感を表わします。大多数の若い世代の方は、当事者同士が合意したのならば家の存在など関係ない、と考えているようです。姑や小姑とのいさかいを避けるため、最初から別居を条件に結婚する女性も増えています。
いまや結婚は家とのしがらみを離れ、勝手なイメージだけが一人歩きしているのではないでしょうか。マスコミやメディアが作りだしたイメージが、結婚をことさらロマンチックに飾りたてています。その反面、結婚が本来もっている尊厳や崇高なものが失われてしまったようです。
結婚を決めたとき、これから二人で築いていく家庭について話し合うならわかります。ところが最近のカップルを見ていると、生活や夢について語る以前に、披露宴の招待客はどうだの、ドレスはどこのブランドがいいだの、ハネムーンはどこがいいだのと、結婚式の形式をめぐって堂々巡りしているように感じます。
ただ、それまで世話になった人にこれから二人で夫婦として生きて行くことを知らせ、新たな決意を固める上で、結婚式を否定するものではありません。ただ必要以上に結婚式というパーティーのスタイルにこだわる姿勢が、愚かしく思えるだけです。
花嫁衣装が一生に一度の晴れ姿などと誰が言ったのでしょうか。きれいなドレスを身にまとっているわけではないですが、人にとっての本当の晴れ姿は、その後も幾度となく訪れるはずです。
そして、結婚とは、その背景に家と家とのつながりができることも、否定することのできない現実なのです。
かつて結婚とは、その二人の住む地域にとっての大きな行事でした。まして当事者のそれぞれの家にとっては、その家の歴史と伝統に関わる神聖な儀式でした。そのため結婚に当たってはお互いの家がさまざまな検討を重ね、その家と結びつくことが妥当か否かを念入りに調べたものです。そうした過程を経て年長者や親類縁者の合意を取りつけ、ようやく結婚に向けて駒が進められたのです。
ここ数十年で世の中はいちじるしく変化しましたが、人の本質までもが変わったわけではありません。私たちは今でも家庭を生活の根拠とし、そこを中心にさまざまな悲喜劇を織り成しています。親子や兄弟の愛情が、昔と比べ薄れてきたわけではありません。今も昔も、家は私たちのに目に見えない影響を与えています。
ただ誤解されては困るのですが、私はなにも家名や家柄を大事にしたほうがいいと言っているわけではありません。むしろ家名や家柄にこだわり、不要のプライドや劣等感をもつことは、苦の刻みを増やすだけです。
出会いとはひとつの点にすぎません。その点をいくつも重ねてつくる線が、恋愛です。
そうして二人の織り成した線が交わり、いくつも重なることで、結婚という平面ができます。断面だけを見る限り、それはいつまで経っても平面のままなのですが、よく見るとそれが立体こそ、双方の家の積み重ねてきた歴史です。
やがては自分たちの平面の下にも、立体は現れます。子孫の織り成す歴史が連なっていくのです。あなた方の子孫が造っていく平面は、血が途絶えない限り、永遠に重なっていくことになります。
家と家とのつながりが、結婚後の生活に多大な影響を与えることだけは、おろそかにしてはいけません。

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